まだ疲れが残る。朝、すぱっと起きれない。散歩も行かず二度寝する。なにかの約束の時間ぎりぎりまで、ベッドから動けないし、うーん、意地でも動かないくらいの気持ち。規則正しい勤め人が見たらびっくりすると思う。休んだ事実より、休んだ実感が欲しいんだろうね。
午後、久しぶりに市役所へ。みんなにお土産の鹿児島のお餅を配る。広報紙を校正する。二十歳のつどい特集。オンライン会議もする。みんな、年始の感じなく動いている。各所へ連絡。物事を私も動かす。いろいろしてたら、外が暗い。だいぶ日が長くなった。昔は、17:25からドラゴンボールの再放送をやってて、その頃に外が暗いと切なくなったもんだ。今はもう(まだ?)明るいもんな。
仕事ってひととの約束で、リターンは約束を守って発生した喜びに対するものだと思う。約束が多く重くなりすぎるとしんどい。守れないこともある。「もういいですわ」となかったことになることもあるし、「じゃあ、これも、いついつまでにします」と結んだ新たな約束が自分を成長させてくれることもある。ニートも経験して感じたけど、約束が全然ないときっと私は物足りない。一方、約束がないのは気楽だった。約束もなく、自ら差し出したものが喜ばれることもすばらしい。不言実行のギフトみたいな。アーティストの一部はそうだと思う。
デザイナーや編集というわたしの仕事は、約束の連続だ。ただ、YONを作るのは、約束ではなかった(仲間には約束してたけど)。やるかやらないかを自分で決め、ただ作りたいから作った。チャイ屋もそんなスタートだった。勝手に振る舞ってるのは、お金にならないけど楽しかった。そういうものが、思った以上に色んな人を喜ばせている。喜ばさせてもらっている。約束のない、ただ自分がやりたいからやった、そんなものを私は欲してる気がする。
そうそう。九州の旅中に、やりたくて持っていったけどほとんどできなかったことがあった。読書と編み物。そもそも欲張りで、「約束」や動き回りたい欲を優先した結果やけど、少しだけ取れた読書の時間はめっちゃ最高だった。そんなこともあってか、約束ばかり増やさず、自分の「やりたい」(それはメンテナンスとかケアも含む)をすぐ実現できるような、余白のある日々を過ごすことが今年の目標だ。いいね。書くことないわあと思ってたら目標が言語化できた。