宿の朝風呂に入る。前日はまたすぐ寝てしまってた。休憩スペースで西郷隆盛の本を読んでたら声が聞こえてきて、タネトチームが出発するところだった。きっと7日まで私はここにおらんから、せっかくやしとみんなを外まで出て見送って、私はチェックアウトまでだらだらし、蒸気家さんの座敷でちょっと仕事もさせてもらってから出発。長崎市に向かうことにした。やはり平和公園や原爆資料館を1度みたいと思ってたし、福岡の山友達が長崎市内に行くからタイミングが合えば会おうということになってたから。うん、今日は長崎市の日になりそやね。雲仙市から長崎までは、諫早市を経由して、下道で1時間半くらい。長崎県の形、おもろ、そして複雑。県庁所在地長崎は久しぶりに都会の雰囲気で、坂道と洋風の建物が多く港もある感じはすごい神戸に似てた。車で走ると、県庁や市役所と長崎駅やお買い物エリアが少し離れ、長崎港を原点として、垂直にのびる川に沿って南北に長いというか。地形は鎌倉みたいに三方を山で囲まれたような感じ。江戸時代に出島があった理由もわかるね。市内には路面電車が走っていて、横目で見る駅ビルのアミュプラザ(九州でなんっかいも見た)や大きなホテル、坂の上には家々。そんなまちだった。
長崎の平和公園は、港から約10分ほど北へ車を走らせた位置にあり、爆心地、原爆資料館や、平和の像がある。資料館は、原爆で亡くなった人々の遺体の写真が広島の資料館より多かった気がして、直接胸をえぐられた感があった。たっぷり2時間滞在し、熱線で溶けたガラスや人々の手記、原爆症などを放射能の影響を記録した映像などを見て、核や戦争が起こす殺戮を追体験し、ぱっ!と資料館を出たとき、近代的で平和な街が広がっていて、映像で目の前の景色に「原爆投下直後」のレイヤーをかぶせてみて、また死をいのちを思った。平和公園をしばらく散策し、あの像ってこんな顔してたんやとにやっとしたり、観光客の会話を聞いたりしたらちょっと現実に戻ってきて、最後はなんか走り出したくなり「平和町」という地名の表示を見ながら、走ってた。なぜかよくわからないけど、この旅では思いついたことをすぐやるのが私なのだ。
ぼーっとしたい。喫茶店を検索して2軒目で入れた、漫画いっぱいで喫煙可なティンカーベルって80’sの雰囲気もりもりの喫茶店で、ナポリタンのランチセットを頼む。持ってきたけど全く読めてなかった本を読む。カメラを触る。午後3時台、けだるく、これから何をしてもしなくてもいいような、自由にゆっくり流れる時の中、暖かい西日がブラインドから差し込み、まぶしくなり、また弱くなる。旅先で誰も私の事知らずほっといてくれて、繭のようなシェルターの安心感。優しいマスターと少しお話をして、旅気をつけてねと言ってもらい喫茶店を出る。旅先の喫茶店て本当に大好き。その街に積み重ねられた時間が、層になって優しく包んでくれるような感じもいい。そこからまた「このあとどこへ行こうかなぁ」なんて考えて、ぽつぽつと歩き出し、気分を街に任せるのもすごくすごくいい。京都のイノダコーヒとか、出町柳のMAKI、MEMEME、倉敷児島のbelk、尾道LOG、神戸のモダナークファームカフェ、今はないけど、だいだい大好きだったトアウエストのシェブロンカフェ…。こんな時間が過ごせた記憶は、消せない宝物。
会おうとしていた友達からの連絡がまだないので、車で市内を少しぶらぶら。港の書店に着いた頃、連絡があって、浦上駅前のコーヒースタンドで一瞬でもと落ち合うことになった。インスタで繋がっていたけど、会うのは初めてで、何度か山で会う機会を逃していた。なぜかちょっと緊張しちゃったけど初めて会った気がしなくて、時間を作ってくれたことに感謝し、1時間にも満たなかったけど、いっぱい話をした。マスターが正月休みにポケモンを全クリした話もおもしろかったな。教えてもらった稲佐山温泉に行き、見たかった夜景とミストサウナを楽しんでもう残り少なくなってきた旅の残り時間を意識する。振り返ると全然飲みに行ったり夜の街で遊んだり服買ったりしてないけど、まじで私今はそんなん欲してないんだな、一人やし。翌日は糸島市で、会社の後輩だった友人に10年以上ぶりに会うため、福岡方面と向かい、道の駅で就寝。車がいっぱい来てまたちょっと怖かった。